Warner: Mikeさん、昔を振り返って、いつかPCB設計者になる可能性を示すような兆候が子どもの頃からありましたか?
Brown: エレクターセットが大好きでした。それに、バネ付きのカーテンレールから自動車のドアの取っ手まで、何でも修理するのも大好きでした。何でもどんなふうに動くのか知りたかったですね。4年生のときのタイトル付きの自分の写真があります。「大きくなったらなりたいもの」というタイトルで、後ろに製図台が写っています。それが、私のやりたかったこと、設計「スタッフ」になりたかったんです。
Warner: 私はよく、なろうと思ってPCB設計者になる人はいないと言っています。大抵の人は、「思いがけず」この仕事に就く傾向があります。Mikeさんの場合は、どのようにして設計者になったのですか?
Brown: 高校生のとき、設計者になりたいと思いました。私は高校の技術科に通っていて、製図が得意でした。高校3年生のとき、体験学習のCO-OP(産学協同教育プログラム)に参加する機会がありました。CADが主流になる前で、製図台で鉛筆を使って機械の図面を引くのが最初の仕事でした。コンピューター周辺機器や板金筐体の技術図面を作成しました。ここで、のちにCommtexという小さな通信会社で上司になるMary Kerbeと出会いました。
Maryが最初の指導係でした。彼女は、P-CADというツールを使って単純な回路設計を学ぶ機会をくれました。私はまるでスポンジのようにさまざまなことを吸収しました。特殊な技術を習うことが楽しかったですし、学校の単位を取得しながらお金をもらえることもうれしかったです。初めて回路基板を設計した(実際は模写でしたが)とき、私は17歳で、高校を終えたばかりでした。
Maryと私は今でも連絡を取り合っており、私のキャリアを通じてすっと一緒に働いてきました。最終的には、言ってみれば生徒は先生になりました。Commtexが廃業した後、私は弟子のようにMaryの後を追って、Entek、GE、Lockheed-Martin、CTA Space Systemsなどの会社を転々としました。
私は、その数年で飛躍的に成長しました。それから、NASAやNaval Research Labs(海軍研究所)のようなお客様をサポートして、航空電子工学を応用した宇宙飛行のための製品開発に携わりました。よい影響力のある製品の開発にかかわることができて、驚くほどの達成感を味わいました。
その後、ニューヨーク州のロチェスターに移り、Kodakの衛星用基板の設計を請け負いました。Kodakが衛星にかかわっているなんて意外ですよね? ここで、2人目の指導者、EMA Design AutomationのManny Marcanoに出会いました。Mannyとの関係を通じて、ViewLogic(現在のDX-Designer)、OrCAD/Allegroのような他のEDAツールも使うようになり、リソースのネットワークも広がり始めました。
Kodakとの契約終了後は、メリーランドに戻ってOrbital Science(現在のOrbital-ATK)で再びMary Kerbeと一緒に仕事をしました。宇宙空間で10年から20年は稼動し続ける製品を作りました。その頃の仕事のペースが私に合わず、単調だったので、1997年から2012年はCiena Corp(DWDMに特化し、データ通信市場の帯域幅を広げ、光ネットワークシステムを開発している会社)で働きました。最初はシニア設計者、それからグループリーダーになりました。その後は、世界規模のさまざまな設計チームの責任者として、3か国でタイムゾーンも別々の5つのチームにかかわりました。私たちは、最先端の機器を事実上24時間開発していました。これは、製品開発ばかりでなく、チームワークやコラボレーションの点でも、他ではあり得ない、本当に驚くべき成果でした。仲間の設計者たちは皆、実に仕事に熟練していました。彼らをとても尊敬しています。私はマネージャーになっても現役の設計者でい続けました。それは大事な選択であったと思います。PADS、Allegro、Valor、CAM350、AutoCAD、ADIVA、Gerbtoolなど、多くのツールを使用しました。2012年に、Cienaは組織変更を行い、私も多くの仲間も残念ながら部署を異動させられました。誰が悪いわけでもなく、多くの企業が直面する、業務上の決定でした。でも、1つの扉が閉まると、別の扉が開くものです。後から考えると、私の在職期間、経験、人脈、労働意欲が報われるということだったのでしょう。
2012年末から2013年初めに、アトランタ州にIDS(Interconnect Design Solutions)を起こしました。私の人生において、イチかバチかの大勝負でした。何年もかけて築き上げてきた資産や人脈を全てかき集めました。Clenaから散り散りになった技術者たちは、さまざまな会社に行き着いていました。ですが、私たちは、特にLinkedInを活用して連絡を取り合い、つながっていました。このような人脈を通じて、またMaryとMannyの助けもあり、私はすぐに、Orbital、EMA、Trilogic、その他たくさんの会社から仕事を受けることができました。全ては、長年積み上げてきた高い評価と強い人間関係のおかげです。私は、LinkedIn経由で、数え切れないほどの展示会に参加し、人脈を広げました。そして、1つのEDAツールにだけ投資しないと決めました。2014年頃、Altium Designerを使用した仕事の依頼を受け始めました。すでに確立していたPADSやOrCAD/Allegroを使用する顧客ベースのほか、提供製品にこのツールを加えました。
6か月間仕事をする間に、独立系代理店を通じて、中部大西洋岸の大事なお客様から大きな契約をいただくことができました。これによって、このお客様の会社も私の会社も大きく成長し、拡大することができました。2013年から2016年の間には、Zentech Manufacturingからの仕事もたくさん請け負うようになりました。時間をかけて、私はIDSとともに働いてくれる9人の設計者から成るチームを作り上げました。Zentech(メリーランド州を拠点とする)は、設計に関するサポートを必要としていました。私は人生の大半をメリーランド州で過ごしました。この地域のたくさんのお客様とも親しかったし、すでにでき上がっている人間関係も多くありました。それは当然のことでした。私は、Zentechとの顧客会議に参加し始め、信用を築き、お客様たちが目標を達成して成功できるようお手伝いをしました。2016年までに、IDSは300~400%成長し、ZentechからIDS買収の申し出があったので、それに応じました。
Warner: PCB設計者としてのキャリアで成功を収めたことは明らかですね。成功のカギは何だったとお考えですか?
Brown: 成功するためには、設計者はさまざまな市場の設計に対応でき、多くの異なるEDAツールセットに精通している必要があります。家を建てようとするとき、仕事のためにハンマーだけ持って行きませんよね。設計も同じです。さまざまなツールや技術が必要です。
PCBレイアウトには学位取得の道はありません。ですから、積極的にエンジニアリングレベルで勉強を続けてより多くの仕事を引き受け続けられなければなりません。自己啓発は100%自分の責任です。勉強しなければ、あっという間に時代に取り残される危険があります。技術は非常に急速に変わっていくのでその進歩を止めることはできません。新しい材料、新しい技術、新しいツールを前向きに学び続けなければなりません。
Warner: これまでのお話の中で、PCB設計者にとってとても重要なPCBの製造と実装について深い知識をお持ちであることは明白です。その知識はどのようにして身につけたのでしょうか? また、そのような理解力の獲得について他の設計者にどのようにアドバイスしますか?
Brown: Cienaで働いているときにDFMについて学んだことは幸運でした。私は、品質監査チームに所属しており、多くのPCB製造業者を訪れました。これが1つの学習体験になりました。Cienaは、私が最初に働いたときには社内に実装施設がありました。このことも、自分が設計で選択したことが実装プロセスにどのように影響するかを見て理解する非常に貴重な機会につながりました。
アドバイスするとしたら、やはり自己啓発でしょう。社内ではんだづけを習う機会を設けたり、ある特定の方法で回路を配線する必要があるのはなぜかを理解するために時間を費やしたり(コンポーネント製造業者はたいてい基になったリファレンスデザインを提供してくれます)、基板製造ショップに行って製造プロセスを実際に学び理解したりしたらいいでしょう。何でも質問しましょう。実装工場や電子機器の請負製造業者を視察してください。請負業者とよい関係を築き、業者のプロセス全体を把握しましょう。フォーラムで他の設計者に質問したり、IPCに参加したり、展示会に参加したりすることもできます。質問を恐れないこと。なぜツーリングホールを使うのか? なぜ実装用のパネルアレイを作成するのか? わからないことはいくらでもあります。学ぶことを止めないでください。
Warner: 最後の質問です。EMSやCMの会社には、社内に設計サービスがあったり、ZentechがIDSにしたように有能な設計会社を買収したりする傾向がありそうだということに気がつきました。この傾向を促進しているものは何だと思いますか?
Brown: この傾向というのは、エンジニアリング会社が間接費やEDAツールの費用を支払って社内設計者を抱えることを望まないような景気の停滞状況にあるということです。同じ理由で、多くのOEMは社内設計者の雇用を望みません。このため、設計者はエンジニアリング会社やOEMからEMSおよびCMレベルに移動しています。このレベルでは、多くの設計者が幅広い製品構成やEDAツールに触れる機会があります。また、製造業者やサプライチェーンに会う機会もあります。つまりDFMがより有効になり、設計プロセスでさらに統合された一部分になるということです。
Warner: 最終的なお考えですか?
Brown: PCB設計はすばらしい仕事です。残念なことに、現役設計者は減り続けています。自分の仕事をよく理解している経験豊富な設計者たちは定年を迎えつつある状況で、直接大学で学ぶ道はありません。大学では、現在電気工学か電気電子工学の学位を取得できますが、基板のレイアウトや設計の特殊技術には重点が置かれていません。業界として、若い人たちがPCB設計に触れ、PCB設計の道に進める方法を考える必要があります。現段階では、「CAD担当」からエンジニアリング コミュニティーで尊敬される熟練設計者になるには指導体制が非常に重要です。
Warner: 成功を収めたPCB設計者としてのすばらしい経歴についてお話しいただき、本当にありがとうございました。今後ますますのご活躍をお祈りしております。
Brown: こちらこそありがとうございました。